2021年12月30日八島家は分家130年目を迎えました!
明治25年12月30日、耕野地区の中屋敷から分家、それが「やしまや」の始まりです。
初代、八島梅次郎は父の生まれる前に亡くなっており、詳しくはわからないので、本家の家長に分家近辺の八島家のことを改めて聞きました。
八島家のルーツは、壇ノ浦の屋島の戦いで敗れた平家の落ち武者で、忘れないように「八島」を名乗ったと。
初代梅次郎は気の利いた爺さんだったとの事。
・村会議員も務めました。写真はその時のものです。
・戊辰戦争の時、狙撃隊の第一小隊長を務めた。
・筆の字が上手だった。それがわかったのは、借用書の文字が達筆だったから。(笑)(結局千両を返せず、土地を没収されたそうです。その土地は2代目、3代目が働いて買い戻しました。)
・妻「けん」が商いが好きな人だった。そこから商売が始まりました。面影は私から見て叔父、梅次郎から見てひ孫が似ていると感じています。
うちの屋号は「中の内」。これは「中屋敷」から分家したことを表したそうです。他には「中の沢」、「中山下」もあります。
分家以後の経緯はこちらからご覧下さい。