阿武隈川四方山話(よもやまばなし)Vol.3
綱掛け石の名前の由来
丸森町耕野の八巻橋から阿武隈川の下流を臨むと、対岸に川に飛び出した岩があります。その名を「綱掛け石」。
トラックも鉄道も無い時代、舟運は大切な移動手段でした。福島から江戸への年貢米、江戸からは塩を運んだのが船でした。
ちょうどこの写真の少し下流に、小さい船(小鵜飼船)※こうかいぶねと読みます。から大きな船(ひらた船)に乗り換える場所がありました。
下る時も岩に乗り上げないように、細心の注意が必要です。特に宮城県に入ってからは、川幅が急に狭くなる、いわゆる「狭窄部」。(昨年の九州豪雨で甚大な被害が出た「球磨川」も同様の狭窄部です。)流れが急な、岩だらけの「滝」が多い船の難所です。
川を遡る時、船上からさおを差すか、陸地に上がり船に付けた綱を引きました。船頭にとっては竿を使うにしろ、綱を使うにしろ、急流を遡るのは大変大仕事だった事でしょう。綱をかけて船を引き上げた船頭の力仕事の跡が残っている石があります。
これが「綱掛け石」。八巻橋から下流を望むと、対岸(右岸)に飛び出した岩があります。
固い岩に綱の筋が幾本も付く。何万回、何十万回? いや、何百万回? どれほどの回数引いたのでしょうか。船頭達のほとばしる汗はいかばかりだったのか。そして掛け声どんなものだったのでしょうか。先人の知恵と力は私たちの想像をはるかに超えるものに違いありません。
舟運の歴史は幕を閉じましたが、穏やかな阿武隈川の流れとともに、綱掛け石は今も静かに佇んでいます。