【緊急消防援助隊 山形県大隊。守られた8ヶ月前の約束】
令和元年東日本(台風19号)の記録。
●「行方不明者の捜索にご協力いただき、本当にありがとうございました。お陰さまで発見できました。今度は仕事でなく、プライベートで参ります。」夕闇迫る中、深々とお辞儀をし、山形県大隊員(当時)は去って行きました。時は令和元年東日本台風(台風19号)の被害が生々しい令和元年10月末。近くの住宅の土砂崩れ現場。行方不明の女性が遺体で発見された後の事です。
●10月12日に発生した大雨による土砂崩れが一軒の住宅を飲み込みました。地元の消防団員として21時30分に現場に到着した時、家の裏から流入した大量の土砂は、玄関先まで埋め尽くしていました。「家の中におばぁちゃんがいるの! 助けて!」と叫ぶ家族。「○○さ〜ん! ○○さ〜ん!」その声もかき消されるほどの雨の音。裏山から流れてくるのは、足をすくうほどの濁流。玄関隣の和室に空間があるのは確認し生存の期待を残しつつ、2次災害を避けるため、止むを得ず家族とともに避難しました。
●翌13日午後、山形県と塩釜市からレスキュー隊が到着しましたが、国道は冠水が続き、土砂崩れ現場までは車はもちろん、徒歩でも行けない状態でした。私の店も既に1.6mの床上浸水被害を受けていましたが、幸い裏口から外に出られる状態でしたので、国道を避け、山道を通りレスキュー部隊を災害現場まで案内しました。現場に到着後、前夜の被害と避難の状況を事細かに説明しました。秋田県、岩手県、山形県など、東北各地から派遣された消防署員による懸命の捜索のおかげで、約1週間後に女性は遺体で発見されました。
●「今度は仕事でなく、プライベートで参ります。」その言葉から8ヶ月経った令和2年6月末、緊急消防援助隊 山形県大隊(当時)の小池さんが部下の青木さん共々、私の元を訪れて下さいました。コロナウィルス感染拡大防止のために移動ができずにいたとの事。県外への移動禁止が解除になるのを待って丸森町を訪問されました。信じていて良かったです。
●台風19号による土砂崩れで知人が4名亡くなり、1名が未だに行方不明のままです。(令和3年7月現在も同様です。)連日捜索作業に携わっていただいた多くの消防署員、レスキュー隊員の皆さんに改めてお礼を言います。ありがとうございました。泥と土砂にまみれた消防署員、レスキュー隊員の方々の【職務】、【責務】言葉では言い表せないほどの責任感を感じました。そして今回「守られた8ヶ月前の約束」。皆さんに伝えずにおられず、長文になりました。
●山形県天童市消防本部にお勤めの消防司令補 小池様と青木様(令和2年7月現在)に感謝します。実直な消防署員の方々と出会えて嬉しいと同時に、我が身も引き締まりる思いです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
以上は令和2年7月12日にFacebookに投稿したものを、加筆修正し、掲載しました。台風19号の記録として残しています。